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●カラダはすべてお見通し●

★一万円札から学ぶ健康法!?★

■『米つき、居合い抜き、乗馬、早朝散歩と、文字どおり
 「壮者をしのぐ」元気さだった諭吉が脳出血で倒れたの
  は明治31年秋、65歳のときだった。』

■『この病気で記憶力が衰えた。イロハを忘れたばかりで
 なく、朝吹英二の名前まで忘れて、「元気の良い男」と
 いう始末。』

■『やがて記憶はもどったものの、食物の好みが一変して
 しまった。肉類がいっさいダメで、蒲鉾屋の前を通っても
 気分がわるくなる。』

■『朝食はそばがきと味噌汁、昼はそばに芋の煮つけ、夜も
 同じようなもので、酒もタバコもやめてしまった。』

(まかり通る 上 新潮文庫 より引用)

■かの一万円札の福澤諭吉のエピソードです。
 ここには、私たちが注目したいポイント満載です。

■あっ、その前に、
 彼の日常の食生活もこの本に掲載されているので、
 合わせて引用しておきますね。

■『諭吉は身長五尺七寸(172.7センチ)、体重十八貫
 (67.5キロ)、当時の日本人としては標準以上のよい
 体格だったが、とくに健康法に気をくばっていた。』

■『「酒は上等の酒をうんと飲んで、肴もいい肴をたくさん
 食べ、満腹飲食したあとで飯もどっさり食べて残すところ
 なしという、いわゆる牛飲馬食ともいうべき男」と自分では
 いっている。』

■『だが、三度の食事の間には決して間食せず、ことに夕食後
 の夜間には、どういう好物があってもこれを口にしなかった。
 咀嚼には人一倍時間をかけた。』

■『そして良く運動をした。もっとも有名だったのは米つきと
 居合だ。』

(同、引用)

■かなり興味深いお話です。

■間食もしないで、しかも夜遅い時間にはものは食べない、
 という素晴らしい健康法を実施しながらも、晩年には脳血管
 障害を起こしておられます。

■あくまでも推測に過ぎませんが、致命傷になったのは、満腹
 主義でしょうね…。

■彼が腹八分目主義をとっていたら、もともと生命力の強そう
 なかたですから、もっと長生きされたかもしれませんね。

■歴史に『もし・・・』は意味がないことを重々承知の上で、
 ついつい思っちゃいます。

■また、病気発症後の、嗜好の変化は非常に興味深いです。
 純和食に戻ってます。

■『身体はすべてをわかっている!』んですね。

■あなたもこの史実から学べることを考えてみて下さいね。

今日もご縁をいただき、ありがとうございます。
ステキな1日をお過ごしくださいね。


インスパイア大澤osawa23  at 09:30